この原因はなんだろうとずーっと思っていましたが、なんとなくわかりました。
別に仕事がすごい良い結果だったりプライベートでいいことがあったりしたわけではありません。
軽い運動を続けていて体調がいいことと、ひっきりなしに新しい分野の本を読みあさっていて脳が満足しているらしいのです。
僕は健康のために何かをすることはありません。健康はあくまでも何かしたいことをするために必要な条件であって、それを目的にするつもりはないからです。軽い運動は、仕事中の姿勢が悪いので腰などを傷めないためとおいしいビールを毎日飲みたいからです。
本は最近までは仕事に直結する本しか読んでいませんでした。でも今は、本は、知らないことを知ることが楽しいから読んでいます。仕事に関係なく本をいっぱい本を読むのは、本当に久しぶりです。小学生の頃は、1日に2-3冊ずつ2時ぐらいまでは寝る前に読んでいました。ジャンルは好きな分野はあってもこだわっておらず、図書館で借りてきてもらった(自分で選ぶことはあまりない)本をすっと読んでいました。
今では図書館に行って選ぶという時間が勿体無いのであちこちで紹介されていた面白そうな本をネットで注文しているので、結局自分で選んでしまって幅が少し狭まってしまいました。どうも僕は深く深く潜るよりもやや広くやや深く潜るというのが好きなようです。本を読むのが早いわけではありません。速読をマスターしているのではないので、文庫本で2-3時間が平均的なペースです。同じ文庫本でもものによっては5-6時間かけて読むこともあります。
そういえば、ちょっと以前の読み進め方と変わったことがあります。以前は一冊読み始めるとその本が終わるまではずっとその本を読んでいました。今は、並行して5冊以上を同時進行で読んでいます。これは、一冊読み切る長い時間が取りにくいのと、あちこちにいろいろ本を置いてあって、時間がちょっとできたときに近くにあった本を読むようにしたからです。でも、この並行して読む読み方も、僕のペースに合っているようです。
僕の本の読み方(読解)は、勉強の仕方と同じで映像と流れで読む感じです。かなりの部分を映像化して読んでいるので、あとでその本の映画化されたものをみたりすると結構ギャップがあります(それはそれで違う作品として楽しめます)。勉強のための記憶も、かなり写真というか映像としてなんとなく覚える感じで、だから単語や年号などを単純に覚えるのは苦手です。
これは、かなり驚かれるのですが、今でも家族の誕生日の日にちを覚えられません。なんども覚えようとしたのですが、そのたびに忘れます。だいたいこの辺ということしかわかりません。逆に映画などもおもしろかった映画は映像を覚えてしまうので、何年か経ってもう一度見たいと思うことはあまりありません(涙をながすためにわざと同じのを見ることはあります。感情をリセットするとすっきりしますよね。)。
なんでそんなに好きだった本をあまり読まなくなったのだろうかと考えていましたが、きっと、何も考えずに読まないといけないわけでもない本を読む時間がおとな(?)になってから無くなった(と錯覚した)からかもしれません。自分でそんな時間があったら役に立ちそうなこと(役に立っているかは別として)をやるために切り捨てていたのだと思います。でも、最近ちょっとわかりました。役に立つっていう意味のかけらが。小学生中学生の頃に読んだ大量の本は、高校の受験の頃に読んだ学習参考書よりも仕事のための本よりもずっとずっと僕の人生の重大な行動決定の役に立っています。
さて、次はどんな本を読もうかな。