5/16/2010

情報

_DSC0728-2010-05-16-17-08.jpgインターネットが多くの個人にまで普及した今、情報を得るのは以前より飛躍的に楽になってきています。だからといって、その情報によって楽に生きていけるようになったかというとそれもまた違っています。

確かに困ったときにちょっと調べれば役に立つ情報がいろいろ出てきます。

以前なら、図書館や本屋さんに行って調べて、必要なら借りたり購入したりして頭の中にインプットしていたようなことが、思ったときにすぐに出来るようになっています。でも、それは、逆に、何もしない自分を生んでいます。ちょっとキーワードを入れて調べればわかるようなことは、しっかりと調べません。調べても頭に入れません。そこには情報があるのを確認するだけの自分がいます。人の記事を読んでわかったような、自分の意見のような錯覚に陥っている自分がいます。

過去に生きていると言われそうですが、僕が一番ものを考えたのは、敏感な思春期ではなく、一番勉強が好きだった大学生の頃(といっても、実は歯科の勉強ではなく、教養部での雑学です)ではなく社会人としてなんとなく共存できるようになった現在でもなく、仕事もお金も無かった無職の時です。

それは、暇だったからではありません。情報をあえて得ようとせず、やりたいと思えることも無かったからです。

その頃の僕は、毎日空間について考えていました。物理や宇宙について調べればきっといろいろな理論を知ることが出来、もしかしたら自分の納得できる解答に到達できたかも知れません。

でも、何も調べずにずっと考えていました。本当に何日も何日も考え続けていました。(空間ってなんのこととは聞かないでください。僕の空間は僕には説明できない存在です。)

それで、実は、結局今でも答えは出ていません。今でも何もわかったわけではありません。

でも、なんか、そのプロセスが記憶としてすごく残っています。

なぜか、そのプロセスは他の思考や決断にも影響しています。

きっとそんなに深く深く考えることはこれからどんどん減ってくるでしょう。(人生には、そのタイミングによってもっと大事に思えることもいっぱいでてきますよね)

情報が必要じゃないとはもちろん言いません。新しい医学知識は知れば知るほど選択肢が増え、役に立つと思います。

ただ、知っていることと、可能なこと、やりたいこと、やることはすべて違います。

しかも、それは、時間と場所によってまったく変わってしまいます。

それを判断するのは自分です。

その判断力をこれからも磨いていきたいと思っています。

なんか、相変わらず、何を言いたいのかわからないブログですね。

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