5/19/2010

音楽

_DSC0712-2010-05-19-16-38.jpgCDを一枚ずつ管理する環境から、すべてのライブラリをiTunesなどで一元管理するようになって数年が経ち、もう、すでに、形あるメディアで管理することは不可能になりつつあります。そうなると、音楽のソースをどうやって聴くかがポイントになります。

職場では、毎日毎日音楽を流し続ける環境なので飽きっぽい僕としては知らない曲や覚えていない(覚えられない?)曲が多く流れるのが仕事がはかどります。それで、一番多く再生しているのは、ネットラジオです。そして、その接続方法は、サーバーのスライドショー用のiMacからiTunes経由でAirMac Extremeにとばして、そこから有線LANでつながっている旧型のAirMac Expressからオーディオケーブルでアンプにつないでいます。ただ、天井埋め込んであるスピーカーがいくらBoseだからといっても、ステレオで聴けるわけでもなく、やはり音として流れているだけで音楽を聴くというような環境ではありません。

それで、自宅で音楽を聴くときには、CDチェンジャーなどでCDで聴くか、パソコンをヘッドホン端子からアンプにつなげて聴いていたのですが、CDは入れ替えるのが面倒ですし、曲を探すのも面倒、パソコンはわざわざ起動するのが面倒なので、あまっていた第一世代iPodを音楽専用として使用することにしました。

今はいろいろiPodをつなぐ良い機器がでているんですね。ONKYOのデジタルメディアトランスポートという機器を購入したのですが、iPodやパソコンをつなぐとデジタル(光・同軸)で出力してくれます。MacでもUSB DACとして使えて、デジタル入力のあるアンプなどにつなげると、僕の耳ではCDと変わらない音で再生されます。いままでは、ヘッドホン端子からの出力でiPodをつなぐことが多かったのですが、あまりの違いにちょっと驚きました。

ただ、実は、この機器、仕事用に購入しているので、しばらく試したら自宅から無くなる予定です。残念です。

5/16/2010

情報

_DSC0728-2010-05-16-17-08.jpgインターネットが多くの個人にまで普及した今、情報を得るのは以前より飛躍的に楽になってきています。だからといって、その情報によって楽に生きていけるようになったかというとそれもまた違っています。

確かに困ったときにちょっと調べれば役に立つ情報がいろいろ出てきます。

以前なら、図書館や本屋さんに行って調べて、必要なら借りたり購入したりして頭の中にインプットしていたようなことが、思ったときにすぐに出来るようになっています。でも、それは、逆に、何もしない自分を生んでいます。ちょっとキーワードを入れて調べればわかるようなことは、しっかりと調べません。調べても頭に入れません。そこには情報があるのを確認するだけの自分がいます。人の記事を読んでわかったような、自分の意見のような錯覚に陥っている自分がいます。

過去に生きていると言われそうですが、僕が一番ものを考えたのは、敏感な思春期ではなく、一番勉強が好きだった大学生の頃(といっても、実は歯科の勉強ではなく、教養部での雑学です)ではなく社会人としてなんとなく共存できるようになった現在でもなく、仕事もお金も無かった無職の時です。

それは、暇だったからではありません。情報をあえて得ようとせず、やりたいと思えることも無かったからです。

その頃の僕は、毎日空間について考えていました。物理や宇宙について調べればきっといろいろな理論を知ることが出来、もしかしたら自分の納得できる解答に到達できたかも知れません。

でも、何も調べずにずっと考えていました。本当に何日も何日も考え続けていました。(空間ってなんのこととは聞かないでください。僕の空間は僕には説明できない存在です。)

それで、実は、結局今でも答えは出ていません。今でも何もわかったわけではありません。

でも、なんか、そのプロセスが記憶としてすごく残っています。

なぜか、そのプロセスは他の思考や決断にも影響しています。

きっとそんなに深く深く考えることはこれからどんどん減ってくるでしょう。(人生には、そのタイミングによってもっと大事に思えることもいっぱいでてきますよね)

情報が必要じゃないとはもちろん言いません。新しい医学知識は知れば知るほど選択肢が増え、役に立つと思います。

ただ、知っていることと、可能なこと、やりたいこと、やることはすべて違います。

しかも、それは、時間と場所によってまったく変わってしまいます。

それを判断するのは自分です。

その判断力をこれからも磨いていきたいと思っています。

なんか、相変わらず、何を言いたいのかわからないブログですね。

5/12/2010

メリハリ

_DSC0678.jpgこの仕事は個人事業主の人が多く一般的なサラリーマンのように会社に行っていないときはプライベートとはっきりと区別できるわけではなく、当然、仕事からプライベートへの切り替えが難しいのですが、僕の個人的なモード変更のことについて書きます。

そんなもの必要ないという人も多いと思いますが、僕は仕事のために生きているとか仕事が生き甲斐とか思っているわけではなくあくまでも生活していくための手段としてこの仕事をしています。簡単に言うと、大好きでこの仕事をしているわけではありません(嫌いというわけではありませんよ)。そこで、休みと仕事はなるべくはっきりとわけて、休むときはしっかりと休んでいるなぁーと思いたい感じたい性格のようなのです。

そこで、休みの日は、仕事の時と目に見える形・行動で違いをつくるようにしています。その一つが、ファッションです。休みの日は極力自分の一番楽しかったときの格好をします。外出するしないは関係ありません。人に見せるためでもありません。僕の最も楽しかったときの格好とは、バックパッカーとして世界を旅していたときのものです。その格好をしているだけで、まずは仕事の気分ではなくなります。
ただ困ったことに、この格好は、(自分で言うのもなんですが)年齢や職業にあまり合っていません。職場の近所に住んでいるので、よく患者さんたちに会うのですが、ちょっと恥ずかしいこともあります。。。

あとは、大好きなコーヒーを何杯か飲むだけです(カフェインレスコーヒーは毎日飲んでいます。ビールも好きですが、これは、ウイークデーも飲んでいるので…)。コーヒーは、体質的に効き過ぎてしまうので仕事の日や仕事前日の午後などは飲みません。連休の時は、朝から晩までずっと飲んでいるので、徹夜しても大丈夫になります。そのせいで完全に昼夜逆転です。とにかく、コーヒーは僕にとって、非日常の飲み物なのです。

実は、この二つがそろえば、たとえ休日にカフェで仕事の本を読んでいても仕事の気分になりません。って、本末転倒ですね。


5/05/2010

人気のない職種

たまには歯科のことについて書いてみます。メージャーな新聞のニュースにもなっていたので。

僕の入学した頃の歯学部は、すでに定員削減が始まり(僕の入試のときから定員が80人から60人に減少)、将来が見え始めていましたが、その感覚が一般の人々にも浸透して、さらにあまりの低収入に歯医者の子供も歯学部に入らない(入れないのではなく、跡を継がせない、僕もそのつもりです)という現象が本格化し始めているようです。

去年から、定員を満たさない歯学部がどんどん増加し、今年はとうとう私立の歯学部17校のうち11校が定員割れ、ひどいところは定員90人のところ32人しか入学しなかったようです。

2010年4月30日03時04分 読売新聞
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100430-OYT1T00120.htm

確かに、普通の人にとっては、歯医者が余れば競争が激しくなりコンビニのようになりサービスとしては便利になる感じがあると思います。ただ、競争が激しくなればなるほど当然経営は苦しくなるのでどこかで経費を削る必要が出てきます。質を落とさず一定の水準を維持するにも限界があると思います。公共の性質を持ちながら競争のあるサービス業という矛盾のある仕事ですが、競争が激しくなれば、きっと公共の側面はどんどん薄れていくでしょう。

そして、実は問題なのが、大変な仕事でも収入が多ければ人気のある職種になるのですが、収入が少なくなれば人気のない職種になります。人気がない仕事は、当然優秀な人材が集まりません。つまり、歯医者が増えても良い歯医者は減り続けるのです。それは、治療を受ける人たちが困ることになるのです。良い歯医者がいないという話をよく聞きますが、当然の結果なのです。

本当に困りましたね。
医療費も医療政策も国が決めるため、僕たちには何も出来ません。
その前に、当院も後何年続けられるのでしょうか。